インスタコード試作機
こんにちは、インスタコード開発者のゆーいちです。
私はミュージシャンでありながら、楽器が苦手なので、誰でも演奏できる楽器「インスタコード」を開発しました。
構想開始から1年で試作機が完成し、それから半年、いよいよ「きびだんご」さんで予約注文が開始します。
今後、皆さんの手元に製品が届くまでには、まだしばらくかかりますが、その期間が長く感じるのか、それともあっという間に感じるのか、今は全く想像できません。
ただ、皆さんに楽しみに待っていただけるよう、このページを使って、活動報告を続けていくつもりです。
音楽好きな親に育てられました
インスタコードに興味を持っていただく多く方は音楽に関心があるでしょうから、まずは自己紹介を兼ねて、私の子どもの頃の音楽体験についてお話していこうと思います。
9歳でピアノをドロップアウト
1975年、広島県廿日市市に生まれました。
5つ違いの妹が生まれるまでは一人っ子だったので、けっこう甘やかされて育ったのかも知れません。
音楽好きな両親の影響もあり、5歳のころピアノを習いたいと私自身が言ったらしく、近所のピアノ教室に通わせてもらっていました。
女性の先生はとても厳しくて、手首が少し下がると、いつもバシッと手を叩かれていたことを鮮明に覚えています。
しかし学校の宿題も、ピアノの練習も嫌いな雄一少年は、5年経ってもほとんど上達することの無いまま、10歳でピアノをやめてしまいました。
その後、妹に2年で追い越されたので、本当に下手だったんだと思います。
とはいえ、ピアノを習ったおかげで、楽譜は読めるようになったし、相対音感(絶対音感はないです)を身につけることが出来ました。
しかし、まさか大人になって、歌や作曲のお仕事をすることになるとは、その頃は夢にも思っていませんでした。
上達しなかったピアノ
カラオケデビューは「浪花節だよ人生は」
子どもの頃から歌うのは好きだったようですが、特徴的な声だったので、決して聞き心地の良い歌を歌えていたとは思いません。
よく「ニワトリの首を絞めたような声」と言われていました。
幼稚園児のころはタイムボカンシリーズが大好きで、そのテーマソングをカセットテープに録音して遊んでいました。
演歌のようにコブシを入れたり、「ほっ!」とか「あらよっと」という合いの手を入れてふざけるのが好きだったので、今でも変わってないなぁと思います。
小学4年生の時、近所のちょっと裕福な友達の家には8トラックのカラオケがあり、そこで初めて歌った曲が、細川たかしさんの「浪花節だよ人生は」でした。
当時は、子供から大人まで、みんなが同じヒット曲を知っていた時代です。
そこで、ちょっとほめられて調子に乗ったのが、ミュージシャンとしての第一歩だったのかも知れません。
高校の文化祭「想い出の九十九里浜」を完コピ(写真右)
ギターも全然だめ
その後、中学校の音楽の授業でギターを習いました。
先生が、生徒に音楽に興味を持たせようと工夫して下さいました。
テストは
・サザンオールスターズ「真夏の果実」
・オフコース「さよなら」
・小椋佳の「さらば青春」
の弾き語りだったのを覚えています。
家にも父のギターがあったのですが、何度トライしても、マメが潰れるほどの練習をせず、全く弾けないままでした。
ちなみにその恩師は現在、宮崎大学の教授をされているのですが、インスタコードの試作機を大学で試していただき、推奨コメントもいただきました。
合唱と出会う
中学~高校時代はパソコンオタクでゲームを作ることにハマっていたので、音楽とはほとんど関わりのない生活を送っていました。
そんな僕ですが、高校3年生の冬、入学を希望していた広島大学の合唱団「パストラール」のコンサートを男友達と2人で観に行きました。
その友人とは今でも仲が良いのですが、なぜ受験勉強の真っ只中、2人で合唱を聴きに行こうと思ったのか、理由は全く覚えていません。
合唱のステージは素晴らしかったのですが、幕と幕の間で、男性4人がアカペラでコントのようなことをやるミニステージがあり、会場は大爆笑。
私は完全に心を奪われたのです。
アカペラで笑わせたい!
その思いで(?)大学には無事合格し、合唱団に所属することになりました。
4年生ついに選抜メンバーに選ばれる(写真一番左)
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