プロジェクトがあと数日で終わろうとしている中、大きな氣づきがあった。
全く関係のないように思える出来事に対し、自分の内側に問いかけていた時、ハッと氣づかされた。
ここ数年、ずっと私に寄り添ってくれている人力車(相棒)。
桜井での出発式からわずか3週間後に脳梗塞になり入院することになって、お医者さんからは、「人力車はもうひけないよ」と告げられた。
まだ何もできていない。スタートを切ったばかりなのに?
人力車をひくために桜井へ引っ越してきたにも関わらず、何もできなくなってしまい、これから先の未来を描けなくて、可能性を失くしてしまったようで、苦しみの日々が続いた。
大好きだった相棒。
大好き♡と相棒人力車にぎゅ〜したり。
あ〜、今日もよく走ったねと一緒に寝転んでみたり。
かじ棒の塗装が剥げてきてるのが氣になって、手ぬぐいで隠していた。
錆びついたかじ棒。
恥ずかしいよねと手ぬぐいを巻いてあげた。
でも、やっぱり綺麗にしてあげたくて、友達に協力してもらい、塗装を剥がし、ラッカーで吹き直して。
ペーパーで塗装を剥がしていく。これが結構重労働だった。
全部塗装を剥がしたら、錆止めのラッカー、ベース、そして仕上げと色を塗り重ねていく。
もう少しで完成というところ。
友達が作ってくれた人力車の部品。特注だから既存の部品の寸法を計って作ってくれた。完成したと渡された時は病院のベッドの上だった。
こちらも人力車の部品。この時、自分はもう人力車がひけないと落ちている時だったけど、みんなが愛情込めて作ってくれた人力車が綺麗に仕上がっていくのが本当に嬉しかった。
毎日毎日車庫へ行ってはピカピカに拭いて、一緒に町を走って、、、
喜びの時も苦しみの時も一緒に感じていた。
運命共同体のような、
私の一部のような、
本当にいつも一緒だった。
ところが、未来への可能性を失くした時、
あれだけ大好きだった相棒に会いたくなくなり、考えられなくなり、車庫に行くことすらできなくなってしまった。
それから月日が流れ、心臓の手術後、私は桜井から和歌山へ帰ることになった。
人力車とは離れた生活。
けれど、いつも心のどこかに常にいて。
旅で行った飛騨高山でも、人力車を見れば触れたくなり、ひきたくなり、、、
手作り手ぬぐいを作る時も、人力車の型を見つけては喜び、人力車の型で手ぬぐいを作り、、、♡
本当はいつも相棒の事を想っていた。
郡上で作ったオリジナル手ぬぐい。お氣に入り。
術後、富士山に登頂する事もでき、元氣になった私は、再び人力車をひかせてもらえる機会をいただいた。
まずは淡路、和歌山、そして現在の伊勢に桜井、、、
そう。
私は絶望の中にいたある日突然、シャットダウンして、相棒人力車に会いに行かなくなってしまった。
けれど何も言わず車庫で待っていてくれた相棒の氣持ちはどんなだっただろう⁈
辛かっただろう?
寂しかっただろう?
どうして会いにきてくれないの?
そんな風に思っていたかもしれないね。
それでも変わらず待ち続けてくれていたんだね。
変わらずにずっとあるもの、、、愛、、、
そう。
全く関係のないように思える出来事から、私は今日氣づかせてもらった。
大切な事を。
今、相棒に伝えたい。
寂しい想いさせてごめんなさい。
一方的にシャットダウンしてごめんなさい。
そして、再びひけるようになるまで、ずっと待っていてくれて、ありがとう。
ずっとずっと、私の人生に寄り添ってくれてありがとう。
喜びも苦しみも辛さも、全部一緒に感じてくれて、ありがとう。
そんな氣持ちになった。
私にとって、人力車は私の一部。
ありがとうとごめんなさいを伝えた今、
これからの関係性が更に良くなって、更に心が通い合い、一緒に走れるかと思うと嬉しくて仕方がない。
プロジェクト終了前の大きな氣づきを記しておきたくて、、、
いつもありがとう(^^)
人力車夫 北原 美希