2018ライフセービング世界大会日本代表選手団を支援しよう!

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【98年世界大会メモリー】

2018.4.22 【98年世界大会メモリー】part1 この時は私が初めて日本代表に選ばれた年でした。 当時のメンバーは、ビーチフラッグスの世界チャンピオンであった鯨井さん、オーシャンマン日本チャンピオンの飯沼誠司、そのライバルであった野田直武、サーフスキー日本チャンピオンの荒木タクジ、2kmもボードも早い東直人、そして私入谷の6人。 当時の女子選手は1チーム4名でしたので、ビーチフラッグス世界チャンピオンの遊佐さん、オーシャンマン日本チャンピオンの佐藤文机子さん、ボード日本チャンピオンの稲垣ゆうみさん、サーフスキー日本チャンピオンの丸山さゆりさん、という10人でした。監督は小峯先生、コーチに深山さんで編成された日本代表チーム。初回の顔合わせでは初めて鯨井さんと話したので緊張したなぁ。かなりドキドキしながら話したのを覚えています。 当時はサーフ種目で国内チャンピオンになると日本代表に選ばれるような感じでしたので、このようなメンバーでした。ということは、当然世界大会でのプール競技では全く歯が立たず、最初の2日間はなんとも言い難い重い雰囲気でした。その中でも佐藤さんや飯沼さんは健闘してましたけどね。チームとしては惨敗です。 一方、オーシャン競技になるとその雰囲気も一変。特にビーチフラッグスでは前回大会で鯨井さん遊佐さんがダブル優勝でしたのでかなり期待大でしたし、そのほかの種目でもそれなりに戦えてましたからね。 オーシャン競技の大会当日、海の会場に到着すると、遥かかなたからとてつもなく強大な波が割れていて本当にここで大会やるのかと正直ビビってました。 それでもやるというとで準備が進められ、マジかあと思いながらアップしていると、1種目のランスイムランが始まる直前にスイムブイが流され中断、協議の結果、会場が変更が決定されました。そこから慌てて移動。2時間?ぐらい車で移動して別の会場に到着。なんとそこはフラット。まるで湖のようなところで開催されました。 それでも世界大会、かなり白熱したレースが開催されと事を覚えています。 この時の経験があったからこそ今の私があります。この時の経験を後輩たちにも味あわせてあげたいし、この時の悔しい思いを少しでも減らしてあげたいと決意し、その後の後輩の指導に当たりました。 これからも自分のできる範囲で日本代表をサポートしていきます。その気持ちはこの大会で生まれました。 私たちは、すべての方々と一緒に、現役の日本代表を支援していきます。
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