鉛筆を削ってみました。
WESN事務局のリネンです。
今回は、WESNで鉛筆を削った模様をレポートします。
今やナイフで鉛筆を削るのは、デッサンに鉛筆を使用する美大生ぐらいではないでしょうか。
しかし、久しぶりにやってみるとこれが面白い!
緊張の削り出し
削っていると、脳と指先への集中を強いられます。
ナイフで鉛筆をそぎ落とすにつれて、何だか心が整うような没入感。
これって一種の瞑想?マインドフルネスにもってこいなのでは。
いよいよ芯が出てきました
この鉛筆は、木の硬い節が邪魔をして真っ直ぐには削りにくかったです。
もはやナイフで削られることを全く想定していないのでしょうか。
やはり、画材店などで売っているデッサン用の鉛筆のほうが、
ナイフで削るには、木が均質なので真っ直ぐに気持ちよく削れるでしょうね。
芯の先を回しながら満遍なく削って尖らせれば完成です。
鉛筆ならではの紙に残るカーボンの”粉感”がたまりません
芯の腹を使った鉛筆特有の筆跡は、削り具合を自分で調整できるナイフならではです。
今回はWESNでできることの一例として、鉛筆を削ってみました。
屋外などに持ち運んで鉛筆を削る必要は、ほぼありませんので、、、
WESNの本領発揮にはなりませんでしたが、
当たり前に問題なくWESNは機能してくれました。
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『人間の手について』花森安治 (1978年)
最後に『暮らしの手帖』初代編集長、花森安治が40年前、
ナイフで鉛筆を削らなくなった日本人に警鐘を鳴らした文書をご紹介します。
彼の生前最後の誌上エッセイ『人間の手について』(1978年)には、
手を使うことの重要性、そのことが人格教育につながるという自論が説かれています。
以下に一部を掲載させていただいたそのエッセイに、
効率性と引き替えに自分が無くしたものに気付かされました。
参照:『花森安治 増補新版: 美しい「暮し」の創始者 』(KAWADE夢ムック 文藝別冊)
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人間の手について
あるいは、今や日本中のたいていの小学校が、
各教室ごとに、一台も二台もの鉛筆削り器を備えていることについて
花森安治
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「人間は、道具をつかう動物だ、といわれています。
ここで、はっきりしておきたいのは、人間は、道具につかわれる動物ではない、ということです。」
「人間の手わざは、みんな自分でなにかを作り出す喜びというものに、つながっています。
ところが、いくらよくできた鉛筆削り器でも、それを使って鉛筆を削ったとき、なにかを作り出したというよろこびがあるでしょうか」
「いかにしてナイフで一本の鉛筆を削るか、についていってきた、それも大きな<勉強>なのです。
それは人間の手の勉強です。あるいは、人間の手の勉強をとおして、こころの勉強だと思うからです。」
*花森 安治(1911 - 1978)は、1948年に『暮らしの手帖』を創刊し、戦後まもない日本人に、本当の豊かさや美しい暮らしを、自身の文章やイラスト、デザインで伝え続けた編集者、ジャーナリスト、コピーライターでありイラストレーター、グラフィックデザイナー、服飾デザイナー。大政翼賛会に従事した経験から、敗戦後の日本において、大企業や権威と戦うことを厭わず、デザインの力で暮らしをより良くすることに人生を捧げた。
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WESN事務局
リネン