福祉、家族、自分らしい生き方について考えたい
きょうだいの方、障害を持つ方、支えてくださる方。すべての人が暮らしやすい社会になるには、それぞれどんなことが課題となって現れているのでしょう。
わたしは「きょうだい(児)」という自分の立場から拙著2作を経て「みんなが自分らしく生きることこそが幸せなのだ」という結論に至りました。しかしそれは精神論に留まり、解決策としては根拠が欠けているところです。
障がいを抱える方や親御さん、きょうだいは、暮らしの中で様々な葛藤や困難に直面することがあります。時にそれは想像し難いものと捉えられ、距離を置かれ、孤立を深め、社会への認知や理解が深く及ばないことも。
なのでもっと様々な視点から、色んな立場の方のお話を伺い、世に発信し、社会全体で考えていきたいと筆を執っております。立場により時には反対の意見が生まれることもあると思いますが、その摩擦こそ現実であり直面している不安の原因なのだと汲み取って参ります。
群馬県高崎市にある障害者支援施設「大平台学園」の施設長、小島佳代子様にお話を伺ってきました。
大平台学園は重度の知的障害を抱えた方が対象の入所施設です。
一人一人がのびのびと過ごせる社会にしたい/小島佳代子施設長
その人に会った支援や生活がしっかりできれば、人はどんどん伸びていける
「短大を卒業してからすぐに福祉施設に就職し、職歴37年。施設長になってから6年経つけれど、まだまだ勉強しなければならないことが山ほどあって大変です」と温和な笑顔でお話してくださった小島佳代子さん。 福祉の道を目指されたきっかけについて改めて教えていただきました。
小島(以下敬称略):私自身はあまり覚えていないんですが…中学校の時の担任の先生が言うには、その頃から「知的障害を持つ人を支援できるようなところに就職したい」と言っていたらしいんです。その後も、高校生になったらJRC(青少年赤十字)に入部して、障害者施設にボランティアに行ったりして活動をしていました。
小島さんはそれが自分の道なのだと自然と進んでいったそうです。しかし記憶を遡る中で、福祉の道を特に意識するような出来事があったそうです。
小島:小学生の時の登下校の時の班の中に、知的障害を持つ同級生がいたんですね。その方は普通学級に通っていたんですが、授業についていけなくてクラスメイト達から一線ひかれた状態だったんです。
でもある日、朝礼で先生と一緒にみんなの前に出て、「自分は特殊学級(※現在は特別支援学級)に行きます」とあいさつされたんです。とてもはっきりとした声だったので、「あんなにしっかり話せたんだ」とまずそこに驚きました。その後特殊学級に移ってからは、たくさん喋るし、あいさつも元気が良いし、特殊学級の仲間たちともわいわいしたり、とっても明るい彼がいたんです。
その様子を見て私は、「その人に会った支援や生活がしっかりできれば、人はどんどん伸びていけるんだ」と気づかされたんですね。
施設に勤めている今も、利用者ひとりひとりの個性が異なり、その方に合った対応を考えるのに必死ですと、苦笑いする小島さん。しかしそうした尽きない課題に向き合っていけるのも、小島さんの中でその思い出がかけがえのない発見だったからこそなのでしょう。
利用者家族(親、きょうだい)にも安心した暮らしを
「福祉サービス」は本人のためでもあるし、そのご家族のためにもあるもの
お話を聞きながら、私はただただ恐縮していました。私自身は、「障害を持つ姉と妹を両親に任せて、家を出てしまった」という罪悪感をずっと抱えていたので、こうした福祉の現場で勤務されている方の前でも、なんとも申し訳ない気持ちにもなってしまいます。しかし小島さんは変わらない笑顔でこう答えてくださいました。
小島:私たちは仕事として、第三者として関わらせていただいているので、ご家族が抱えるお気持ちとは別の立場にいます。だから、そんなに気に病まずで良いと思うんです。
「家族だから、自分が支えなければならない」という風に抱え込んでしまうご家族もいらっしゃいますが…まずはご自身の生活を充実させないと、障害をお持ちの方の生活におおらかな気持ちで向き合えないということはありますよね。経済的にも精神的にも。ご家族の生活も整えられるように、こういう施設を利用していただきたいです。
福祉サービスは本人のためでもあるし、そのご家族のためにもあるものなのだと。だから自分の時間を大切にしてほしいと言ってくださった小島さん。
きょうだいである私はそっと胸をなでおろすような気持ちになりました。
医療同意と成年後見
第三者の限界がある
しかし、利用者の方の暮らしを見守る中で、施設ではどうしても対応できないことがあると教えてくださいました。
小島:お医者さんが常駐している施設ではないので、医療行為はできないのです。病気などにかかってしまった際には、どうしても専門機関に移っていただくことになってしまいます。
また、手術などのもしもの時に同意書へのサインが必要なのですが、第三者である私たちはそれができないので、そういうときにはどうしても肉親の方のご協力が必要なんです。
また身内がいらっしゃらない方は、成年後見制度をご利用いただいていますが、現在の規定では成年後見人には医療行為を同意する権限は与えられていないんです(※)。そうした場面に直面した時には、まだまだ悩ましく感じています。
ほとんどボランティアの範囲
小島:生活は私たちが見させていただけますけれども、親御さんの次にご協力いただける兄弟姉妹の方や肉親の方がいないとこちらも安心できないということは正直あります。
亡くなった後の遺体の引き取りや葬儀なども、本来成年後見の業務ではないので…ほとんどボランティアの範囲でお手伝いいただいているのが現状です。(※)
葬儀費用などの緊急時の出費に対応できるように、単独世帯でいらっしゃる利用者様に関しては、ご本人の障害者年金を少しでも残せるように私たちも把握させていただいています。
ご本人の暮らしを人生の最後まで見届けたい。家族は家族の暮らしを大切にしてほしい。どちらも施設の本音だけれど、家庭の事情によってはどうしても摩擦が起きる瞬間もある。それを第三者としてしか見守ることができないということを、歯がゆそうにお話されました。
やむを得ない事情で、親族がいても成年後見制度を利用される方はいるけれど、成年後見人は100%家族の代わりになることはできないと、現在の制度の隙間が見えました。
地域共生ホーム-知的障害のある人のこれからの住まいと暮らし-
施設が考えるその他の課題や目標の提言ー
また、施設が考えるその他の課題や目標の提言として、利用者家族の連合会「一般社団法人 全国知的障害者施設 家族会連合会」が出版した書籍についてもご紹介いただきました。
「本書は、知的障害のある人のこれからの地域での暮らしのあり方を、自ら学び、行政・事業者関係者に協力・ 協働の場を提言していくための必読書です。(添付資料より)」
市民としての地域生活、 職員の専門性、施設長、施設運営、権利擁護など、今後の障害施設はどうあるべきか多角的な内容に触れています。
小島:今の日本では「本人のことはその家族(親、きょうだい)が責任を負うべきだ」ということが基本になってしまっていて、家族の人を縛り付けてしまっている部分があるんです。なのでこの本には、民法第877条(扶養義務者※)の廃止を求める意向が掲載されています。福祉は家族の生活も守らなければならないし、家族自身も個人の幸福を追求する権利はあるのだと言及されているんですね。
※民法第877条(扶養義務者)
…直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務があると定めた民法。
「家族の幸福を追求することができなければ、利用者本人の幸せにきちんと向き合ってあげられない」
小島:家族が責任を背負い、追い詰められてしまう現状がありますが、家族の幸福を追求することができなければ、利用者本人の幸せにきちんと向き合ってあげられないのではと思いますね。いろんな家庭、いろんな事情があるので、本当に一筋縄ではいかないんです。決まり事では定められないことがたくさんあるので、ご本人の暮らしのためにも、福祉制度の良いところだけをどう利用し、活かしていけるか試行錯誤していくことが私たちの課題ですね。
本人や家族(親、きょうだい)が安心した暮らしを送れるようになるためには、こうした施設の方々の課題を緩和できるようなサービスや制度が整っていくことも大切なのだと思います。 もっと社会全体で協力して、ひとりひとりが充実した生活を送れるように、受けられる福祉サービスや逆に現行では難しい課題など知っていく必要があるのだと感じました。
私自身は、家族から離れたことへの罪悪感を長年抱えていました。 でも小島さんのお話を聞いて、この離れていた時間のおかげで、今、姉と妹の暮らしと向き合う気持ちを整えることができたのだということを教えていただいた気がします。