鹿児島県庁最上階から、一人でも多くの仲間と一緒にローカルの明るい未来を描きたい!

鹿児島県庁最上階から、一人でも多くの仲間と一緒にローカルの明るい未来を描きたい!

薩摩リーダーシップフォーラムSELF 監事 坂口修一郎より

これまでの150年を手放して、ここからの150年のことを考えよう。 僕が監事として末席に名を連ねさせてもらっているサツマ・リーダーシップ・フォーラム、SELFという団体が鹿児島にあります。この団体が生まれる「きっかけのひとつ」は僕がある時無責任に言い放ったちょっとした言葉でした。 ちょうど明治維新150周年という節目の年(2018年※どの時点で明治維新元年とするかは諸説ある)の1年ほど前。明治維新を牽引した西日本の薩長土肥に由来する県は維新150年をどう祝うかというキャンペーンがいろいろと企画されていました。鹿児島は大河ドラマ「西郷どん」も決まり、ここぞとばかりに維新バンザ〜イ!みたいな感じ。 でも東日本に位置する東京と鹿児島の2拠点を行き来していた僕はその地元の雰囲気に違和感を感じていました。東京というか他の県では明治維新を祝うって感覚はほとんどない。そりゃそうです。薩長土肥は現在だと鹿児島、山口、高知、佐賀のだいたい4県と重なります。そこから東にある地域は旧体制とされて維新によって打ち倒された側です。明治維新以降は政治の世界も内閣総理大臣はやっと大正時代になって19代目の原敬が出てくるまでほぼ山口と鹿児島(薩長)が牛耳っていて、それは今でも通奏低音のように続いています。安倍元総理は長州系、麻生元総理は薩摩系(大久保利通の子孫)。 勝てば官軍で明治維新150年なんて言ってるのは日本でも一部。福島では戊辰(戦争)150年と呼んでいます。維新は世界史的にもまれな無血革命だというのは嘘で、実際には同じ日本人同士が血で血を洗う戦いを行った結果勝ち取った近代国家。21世紀のいまになっても東日本には、長州(山口)や薩摩(鹿児島)によくない思いを持っている人がゼロではない。そのことを旧薩長土肥の人たちはほとんど知らないか、見ないことにしているんじゃないだろうか。 そんな明治維新が切り開いた近代革命とは、簡単に言うと産業革命。そこから150年経って西欧近代モデルが世界中を覆いつくした結果地球に深刻な環境破壊を引き起こし、未だに世界中で戦争が止まらない。 150年前の維新の志士たちにとって制度疲労を起こしていた幕藩体制を破って近代化する他の選択肢はなかっただろうし、それを否定するつもりはないんです。彼らががんばってくれたおかげで今の日本があることには感謝している。けれど、もし彼らが今の時代に生きていたら。自分たちが作った世界が制度疲労を起こして深刻な問題を引き起こしていると知ったらどうするだろう。 そもそも坂の上の雲を目指して近代モデルで突き進んでからたった70年ほどで太平洋戦争のような大惨事も引き起こしてしまった。そのことに無自覚なまま過ぎた150年目。いまの世界の状況を見たらもう一度この制度のネクストを目して動くんじゃないだろうか。 明治維新のための戦いで分断された東と西(日本にも東西問題はある)を150年というタイミングで結び直すためには、明治維新を振り返って称揚している場合じゃない。過去の栄光を前向きに手放すことが必要なんじゃないのか。維新を成した先輩たちをポジティブに否定して脱構築することが、なによりも地元の先輩に対してのリスペクトにつながるんだと思っていました。 だいたい、地元の偉人にいつまでもおんぶにだっこでいる事自体格好悪い。そんなこと彼らは求めていないと思う。明治維新を、それを成した人物を輩出したこの薩摩から前向きに否定しましょう!そんな思いを維新150年を盛り上げようということで集まった、地元の偉い人の前でわーっと口走った(てしまった)。なんだか場が白けてしまった気がして(当たり前)、用事があるとかなんとか理由をつけてその場から立ち去ったのを覚えています。 でも、その場に僕が口走った想いに共感する人もいた。僕が引っ掻き回したカオスから秩序が立ち現れてきた。それから4年。ラーニングコミュニティと呼んでいたSELFはどんどんと勢いを増してあっという間にNPOとして法人化。そんなSELFの次のアクションとして鹿児島県庁舎18階にあってあまり使われていなかった場所に、多様な人が集まるスペースを作ったり、最初はリバーバンク森の学校で行っていた合宿から発展して「薩摩会議」という名目で大規模なカンファレンスを開催することになりました。そのための資金をクラウドファンディングで募る活動も今日から始まりました。 僕らのコミュニティは西郷や大久保のイラストを「安易に」アイコンにしたりは「絶対に」しません。彼らをリスペクトしつつ、頼らずにいることが乗り越えることでもあると思うから。誰かが作ったモノサシ(西欧的産業革命や資本主義的イデオロギー)ではなくて、次の150年を作るモノサシは足元から自分たちで作りたい。 古いジャケットは脱ぎ捨てて新しいものを買ってきて着る、のがいままで。そうではなく、古いジャケットの素材を活かしながら仕立て直して新しい気分で着こなす。それがこれからのやり方だと思います。 そんな活動に共感してもらえたらぜひ支援をお願いします!
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