【パリ・ギリシャ】ヨーロッパ巡回の展示を成功させたい!

【パリ・ギリシャ】ヨーロッパ巡回の展示を成功させたい!

人生のターニングポイント【活動報告 vol.1】

我が家は少し変わった家でした。 たくさんの矛盾が共存していて、多感な私は受け入れることができず、ささくれ立った感情を持ちながら過ごしていました。 そんな私の心のより所は絵を描くことでした。 絵を描いていると夢中になって、全ての感情が無になります。 時間も忘れ、気がつくと朝になっている日も多くありました。 学校では授業も聞かず、机の上はいつも絵で埋め尽くされていたのでした。
初めて描いた鉛筆画(13歳の頃)
そんなことから、上京して美術大学に進学することを決意。入学した学科は、 グラフィックデザイン科。 卒業後にすぐに仕事になるから、という母の勧めで選択しましたが、本心は違う所にありました。 その気持ちはだんだんと行動に表れ、次第に学校へ行かなくなっていきました。 いよいよこのままでは卒業が危ういとなったところで、卒業制作の時期がやってきました。 グラフィックデザイン科ですから、当然それにちなんだ制作を行うことがセオリーです。 それでも最後くらい心から好きなことをやってみようと思い、手に取ったもの、それが、 「鉛筆」でした。 無心で描きあげたことを今でも忘れません。
花蝶風月(2007年)
奨励賞をいただき、横浜美術館で展示された作品です。当然、絵を描くことが好きな気持ちは風船のように膨らんでいました。 それでも職業にすることなど到底無理だと決めつけて、無理やり空気を抜くように、卒業後は絵とはまったく関係のない道を選択したのでした。 これで本当に良いの? 心の声に蓋をして、流されるままに時は過ぎていきました。 それから13年。 私は母親になりました。 状況は変わっても、人は急には変われません。 母親なのだから、やりたくないとは言ってはいけない。やりたいことは我慢しなくてはならない。 自分の心に嘘をつき、どんどん足枷をはめていきました。少しずつ言動や行動がおかしくなっていきます。 そんなある日、突然めまいの発作を起こして倒れました。 完全にキャパオーバーです。 「この症状は心からくるものです。完治はしないので考え方を変えていきましょう。」 医師はそう言いました。 やってはいけないことは誰が決めたの? 心から自分がやりたいことって何だった? 自問自答を繰り返して過ごしていたある日、とある誘いを受けました。 「絵を展示してみない?」 ハッとしました。 時を忘れるほど好きなことがあったじゃないか! 風船が膨らんでいくのを感じます。 この瞬間、私のセカンドステージの扉が開きました。
open mic!(Art Space 呼応)にて(2018年9月)
展示での素晴らしい出会いの話は長くなってしまうのでここでは省きますが、その後、数ヶ月もしないうちにアトリエを借りました。 ここからのスピードは信じられない速さです。状況もそれを追うように目まぐるしく変わっていきます。 絵を描き始めて1年後、絵を描くことだけに集中した人生を強く願うようになりました。 心から願うのであれば、動いてみれば良いんだ。 気持ちに蓋をすると、心が病気になってしまうと体験したから。 難しそうでも不安でも、とにかくやってみよう。 こうして画家を生業にして、2年が経ちました。 状況は大きく変化しましたが、今でも些細なことも考えすぎて逆にこじらせてしまう性格は変わっていません。 では何が変わったのでしょうか。それは、 考え方が少し変わった。 それだけです。 一見マイナスに思えるような経験も、実は今後のために必要なことでした。 私たち人間は経験から学び、それを未来に活かすことができる生き物です。 私の場合は、心から好きな絵と正面から向き合ってみたことで、【どんな自分も大切な一部】だと考え方を変えることができたのです。 自分に正直にいられるやり方で自身の想いを伝えていきたい。 これが私が絵を描く理由と動機です。
コメント