~セルビアンナイト~ 食べてセルビアを知ろう!春の味覚篇

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旅する女将の岩手旅行記(陸前高田編)


3月10日の夜行バスで出発し、14日までの4日間で岩手を旅してきました。

たくさんの再会と出会いに恵まれ、やさしさにふれた追悼と創生の旅。
今回はその旅行記のパート1、陸前高田編です。

  
10日深夜の新宿発の高速バスに乗り、仙台経由で一ノ関へ。 列車と津波により鉄道が損壊した期間の代替輸送であるBRTを乗り継ぎます。
陸前高田に入り、まず、津波による死別を体験した子どもたちが自由に過ごせる場として2014年6月あしなが育英会により設けられたレインボーハウスを見学しました。 遺児、孤児が対象ですが、小学生から大学生まで利用でき、その親や、実際にこどもを支援する人の支援や検討会等も行っているそうです。 この場の「つどい」のルールとして ①ひとやじぶんのからだをきづつけない ②ひとやじぶんのこころをきづつけない (ひとのいやがることをしない、いわない) ③ファシリテーターといっしょにやる ④「ストップ」といわれたらやめる・とまる ⑤ひとのことをよそではなさない(ひみつだよ) ⑥はなせないことはパスできる ⑦トーキングスティックをもっているひとがはなす。ほかのひとはきく。 の⑦つがあり、子どもたちの間だけではなく、スタッフも含めた人間関係のなかで大切にしているそうです。 そのような配慮は随所になされ、「ワンデイプログラム」という活動の中での「おはなしのじかん」は絵本などの読み聞かせではなく、子どもたちが話すきっかけづくり、場づくりであり、自分の内面を言葉にするできない場合はルール⑥でパスができ、せっかく話せても聞いてもらえないことがないよう⑦のルールで守られています。 また、「火山の部屋」というカラフルな部屋にはサンドバックがあり、壁面にはクッションが貼られています。やり場のない気持ち、衝動は、ひとや自分を傷つけず、この部屋で発散できるようになっています。 そこまでいかなくとも、気持ちを落ち着けたり、大人数のなかではなく個別に対応するときには和室が、また、遺児、孤児となった子どもたちと向き合う親や保護者のひととき心を休めるための応接室がありました。 バレーボールコートほどの広さの宿泊イベントの行えるホールや、背の高さを刻める壁のある食堂なども備えられ、「ひとり親」として思春期の頃から息子を育てた私も、わが事のように説明に聞き入ってしまいました。 急なお願いにもかかわらず、快く紹介し、受け容れてくださった関係者のみなさま、ありがとうございました。 興味のある方はこちらもご覧ください↓ http://www.ashinaga.org/higashi_nihon/
今回の旅で、憧れの箱根山テラスにも行くことができました。といっても、宿泊は川原祭組のみなさんと個人宅にお世話になったので(ありがとうございます)、コーヒーを飲みに、ですが。 箱根山から森林越しに海を見下ろすここからの風景は、震災前の高田の雰囲気を今に伝えているということです。 広い空が窓にも映り、雄大な広がりに深呼吸。 都会でちまちま頭の中だけで考えているのが、ばかばかしくなります。 http://www.hakoneyama-terrace.jp/
3月11日の14:46は、竹駒の大坂ママのお宅で黙祷を捧げました。 いつものように憎まれ口をたたきあって、ふざけて笑って時々しんみりして。「また来るね」と約束してハグ。 嵩上げが終わり、「桜ライン311」の活動で昨年津波の到達地点に植え戻した桜の1本1本には、元気な花芽がついていました。
夜は「高田に輝(ひかり)の花を咲かせよう」のお手伝いをしていました。昨年までは11日の帰り際、車で横を通りぬけて気になっていた場所。 地元の青年たちが津波で亡くなった友人を偲んではじめた追悼の灯りです。消防団だったこともあり責任感の強い青年だったそうです。 今年はご縁あってお手伝いを申し出たところ「宿なんかとることない、みんなと一緒に泊まればいいから」と、宿泊のお世話までいただいてしまった。 ありがとうございます。
翌12日はBRTで小友から盛まで。盛から高速バスで盛岡へ。  途中、広田町根岬漁港「たかおのワカメ」さんの作業場で加工を見せていただく。 コラージュ写真右上に新設された防潮堤。 左側は、突端でワカメの湯通し、冷却、塩蔵の作業をしている様子。 右は、防波堤の内側の小屋でお母さんたちが切り分ける作業と、出してくれたおまんじゅうと沢庵、朝ご飯に作ってもらったメカブ納豆。 陸前高田でお世話になったみなさま、ありがとうございました。 盛岡編につづきます。
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