「好き」を仕事にするための「猫と子どもの『好きる』ワールドカフェ」を開催したい!

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いい親よりも大切なこと

いい親よりも大切なこと
この本のあとがきに書かれていること。

大切なのは、いい親になることではありません。子どもの隣にいる大人が、どんな風に生きているか、なのです。

僕のお父さんは昔、コックだった。 お母さんと出会う前。 だから、日曜の昼に作ってくれるチャーハンやオムライスが楽しみだった。 夏は海に連れて行ってくれた。 サザエを素潜りでとってきて、BBQでつぼ焼きにしてくれた。苦いけど美味かった。 家でもよくBBQをしてくれた。福岡名物の豚バラの焼き鳥がすっごい美味しかった。 小倉から博多まで通勤してたから、平日の帰りは遅くて、たまに酔っ払って酒臭かった。 けど、美味しいものを食べさせてくれるお父さんが好きだった。 お母さんはお父さんほど料理は上手じゃなかったけど、毎日ごはんを作ってくれた。 おやつも手作りだった。電子レンジがまだ出回ってないとき、炊飯器の中に蒸しパンを入れて温めてくれていた。 僕が中学生になって食べ盛りになったら、パンをいっぱい焼いて食後に食べさせてくれた。 お父さんもお母さんも高卒だったけど、お兄ちゃんと僕を大学に行かせてくれた。 お父さんの給料はそんなに高くなくて、たぶん今の僕の半分くらいだったと思う。 自分が親になってみれば、親の苦労がわかる。お金がないと、いろいろ工夫しないといけないと気づく。 外食はほとんど行かなかったけど、お父さんとお母さんには美味しいものをたくさん食べさせてもらった。 だから、僕は美味しいものを食べることが好きになった。 僕が就職したタイミングで、お父さんは早期退職をして、親会社の重役向けの保養所の管理人になった。 お母さんも一緒に管理人になった。 お母さんは久しぶりに仕事をして生き生きしていた。 経験がないのにいろんなことにチャレンジしていた。 保養所のロビーに飾る花はお母さんが裏庭で育てて、活けていた。いつ行ってもすごい綺麗だった。 泊まりにくる社長やその奥さんにも、お母さんなりに礼儀正しく接していたようだ。 保養所に勤めて3年経った頃、お母さんが亡くなった。脳梗塞だった。 突然に亡くなってしまって、葬式で娘とわんわん泣いた。 長男はまだ1歳だった。 お母さんが亡くなる1週間前に、家族で遊びに行って、話をした。 「お母さんね、きみちゃん(僕の娘の名前)が生まれて本当に嬉しかったんよ」 そう、言ってくれた。 そう、言ってくれて、僕は本当に嬉しかった。親孝行ができたと思った。 お母さんは勉強はできなかったかもしれないけど、僕にたくさんのことを残してくれた。 いつも作ってくれる美味しいごはん。 お金がなかったけど、パートに出ずに幼稚園、小学校と一緒にいてくれた。 高校の時はたくさん喋った。 大学に入って、彼女ができて、会ってもらって、喜んでくれた。 お母さんは何歳になっても無邪気で、無垢で、天然で、だけど、多くの人に愛された。 葬式の時にたくさんの人が弔問にきてくれた。偉い人も、農家のおばあちゃんも、口々にお母さんのことを褒めてくれた。 そんなお母さんを誇らしく思った。

僕は3人の子どもに何を残せるだろう?

そんなことを考えるときがある。 いつ死ぬか分からない。 僕が死んだときに、僕がお母さんに対して思ったようなことを、僕の子どもたちは思ってくれるだろうか? そんなことを考える。

いい親よりも大切なこと

このクラウドファンディングを始めて、改めて子どものことを考えた。 真剣に考えた。 いい親よりも大切なことって何だろう?って考えた。 僕の今の結論めいたこと。 それは、

いい思い出を残すこと

だと思った。

いろんなところに出かける。

小豆島の風車小屋

おいしいものを一緒に食べる

山越うどんの釜玉
こないだも京都マラソンを走り終わって、無性に肉が食べたくなって、帰りにスーパーで肉をたくさん買って、家で焼肉をした。 家族5人でパクパク食べた。モグモグ食べた。 なんでもない日常だけど、すっごい幸せだった。

日常を面白く

なにげないことでも家族で分かち合うと楽しくなる。
次男が1歳の頃、虚無僧になった瞬間
次男がこぼしたうどんが「うへ」って言ってる。
息子と娘の合作
いい親じゃなくったって、いい思い出を残せばいいんじゃないかな。 何かが残せたら、それでいいんじゃないかな。 そんな思いで、親をやっています。
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