「ロイヤルアルパカ腹巻」で夏でも冷えるあなたのお腹を蒸らさずに優しく温めたい!
伝統技術とアルパカ

今日のアルパカ写真。このアルパカフォト連投も残すところあと3回です!
南米での布が作られ始めたのはとても古く、
紀元前8000~6000年頃と言われています。
その後紀元前2000年頃には綿で布が織られ、
その後アルパカやリャマなど獣毛の織物が用いられ、
染色技術と共に発展していきました。
1500年代、スペインが南米に侵略した時に、
インカ帝国の首都クスコが陥落し、首都がリマへと移され、
海岸沿いがその後大きく開発される一方で、
標高3000、4000mを越えるアンデス山脈の山間にはスペイン人も侵攻していけなかったことから、
今でも昔ながらの生活スタイルで暮らす地域が残っています。

キヌアに似たスーパーフードのパンや発酵させたじゃがいもを分けてくれました。
農業と、アルパカを育て、毛を刈ることを兼業にしている人達が多いのは、
天候による被害を受けやすい土地に暮らす中で、必須なワークスタイルです。
ただでさえ移ろいやすい山の天気ですが、
最近は気候変動の影響によって、被害が大きくなっていると言います。
昨年も、極度の寒波によって、数千頭のアルパカが死んでしまいました。。
そんな土地で、自然の恵みと厳しさと共に生きる
人々と動物との暮らし。
「どうしてこんなハードなところで今もなお暮らすのか…」
という思いが、高山病で朦朧とする頭の中をよぎりますが、
彼、彼女たちにとっては、これが育った環境。
世界には、理解できないようなことがまだまだたくさんあるんだなぁ。
と思うと同時に、いや、なんて世界は多様なんだ、ということに気づかされます。

最近は、毛の状態で紡績会社に売るだけではなく、手紡ぎならではの糸を作り、製品化する動きも増えています。
高地で刈られた毛を、紡績会社が買い取り、
毛をきれいにして糸にする前の状態で輸出されたり、
糸にした状態で輸出されたり、
製品として輸出されたりします。
日本に入ってきているアルパカ混の製品は、
糸になる前の状態で、ペルーからアジアの他の国に渡り、
他の素材と混ぜて紡績され、製品化されていることが多いです。
確かにその方法で、値段は安く作れるようになりますが、
アルパカの素材のもつ良さが発揮されていない製品になることも多々あり、
素材が貴重なものであるだけに、もったいないと感じます。
棒編みやかぎ針の手編だけでなく、手で調整しながら作る手横編みや家庭機編をする職人もペルーには多くいるのですが、自動機械化の流れや、他の国から安い衣料品が入ってきていることもあり、ニット職人の数も減ってきています。

日本でも昔は見られた手横編み機。

伝統技術も、需要や革新がなければ、淘汰されても仕方ないもの、
という見方ももちろんある一方で、
ペルーのアルパカ伝統産業は、これだけ長い歴史と、今を生きる地方の人達の生活が関わっているので、
そうなってしまうのは惜しすぎる、と思うのです。
日本のシルク産業や、ニット産業の縮小も、
安い国へと産業が出て行ってしまい、
今になって取り戻そう、付加価値を高めようという動きや職人の高い技術が注目されています。
失ってからでないと大切なことには気づかない、
歴史は繰り返す、
と言いますが、
今を生きている人達がそこにいるわけで、
自然とのバランスを保ち、その国が持つ個性がより伸ばされ、誇りあるものとして受け継がれていくような
そんな流れになったらいいなぁと思います。
もちろんおもしろいもの、かっこいいもの、そして品質の高いものを作っていくのはマストですが。
なんで日本じゃなくてそんな遠いペルーの伝統を、
っていうのは、もうご縁としかいいようがありません。
靴下のように、日本でのものづくりも行っていきますが、
本質を忘れないようにしたいです。
ペルーと一緒につくるアルパカニット。