中高年のあらたな人生、展開をテーマに制作された、映画「脱皮」を完成させたい!
中高年のあらたな人生、展開をテーマに制作された、映画「脱皮」を完成させたい!
出演者から ~編集映像初体験~
和泉妃夏さんと村松恒平さん
『脱皮』試写を見て
村松恒平
試写といっても正式なものではなく。
昨日、ワークショップに行くと、ドタキャンした人がいて、参加者男2人。
用意してきたテキストとも違うし、と大木監督が頭を抱えた挙句「今日はやめよう!」となりました。
フィルムがほぼ公開用の長さまで編集されたものがあったので「ちょっと冒頭だけ見てみる?」
ということに。
僕はまだ全く未見だったのですが、見たいような、見たくないような気持ちでした。
ガマガエルは、鏡の部屋に入れられるとあまりの自分の醜さに脂汗を流すそうな。
そういうのに近い、おっくうな感じもありました。
しかし、見だすと、「おお、新鮮!」
撮影に近くで立ち会っていない場面もたくさんあり、
自分のカットも「ああ、こういうふうに切り取られているのか」と、
やや遠くから客観的に見ることができました。
それは監督やカメラの方の意図で、きっちり料理されているからです。
もし、演劇で自分の出ている芝居を客席で見ることができたら、こうはいかないと思います。
自分の演技?
なんかチューブから出たときから、混色して濁った絵の具みたいです。
監督や演出家にとって、役者というのは絵の具のようなものだと思うのです。
その中で「変な色」。
音でいうと、不協和音が混じっている。
単音や和音だけで演技ができるの、うらやましい。
もっとも希少性があるのは、僕のほうです。
蛭子能収さんが初めてテレビに出てきたときと、たぶん少しだけ似てる
(このたとえ、かなり、イヤなんですけど)。
本気になれば仕事あるかもしれない(笑)。
そういう印象。
音色を持っているのは僕だけではありません。
登場人物は6人なのですが、全員が違うはっきりした音色を持っています。
その音色が共鳴もしないのです。
水と油、というのが溶け合わないものの比喩として使われますが、水と油は2つです。
この映画では、6つの音色がまったく溶け合わない。
ドラマとしては深く干渉しあうのですが、演技者の個性は、まったくブレようがないのです。
物語の流れの中で、どこか遠くから和音でない和音が聞こえてきたらハッピーでしょう。
冒頭の10分くらい、という話だったのですが、気がついたら40分以上見ていました。
それくらい「軽く」さらさらと見れてしまう。いい映画なのではないかなあ。
今回見たバージョンは、カメラで拾った音で再生したもので、音声はまったく完成していません。
音響、音楽、アフレコ、整音とまだまだ制作は続きます。
音が入るとどれだけ印象が変わるのか。
とても楽しみになってきました。