日本古典文学を題材に小説連載・映像化!『遠い昔、はるか彼方』の日本の話を広めたい
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ベンの錦~Part2~
パンドラの箱
というよりも立ち上がらざるを得なかった。
なぜならば、景気と彼は運命共同体であったからだ。
その男の名はベンと云った。
輝かしいキャリアと頭脳の持ち主で、金融の事なら他の誰よりも知っていた。
何より、米国のいわば中央銀行であるFRB議長として、当然責任を以て対処するべきポジションにいた。
彼はFRB議長就任前から言っていた言葉を予定通りやると宣言した。
「現状の不景気は、金をヘリコプターからばら撒くしかないさ」
文字通り『ヘリコプターでばら撒き』はしないものの、彼は実質同じようなことを遂行すると宣言した。
これがQE1(量的緩和)と呼ばれる作戦であった。
量的緩和とは、民間の銀行から国債を買い取り、その支払い分は中央銀行の保有する預金残高からではなく、紙幣を新たに刷ることで支払う。
そうなると、預金残高はそのままで、世の中に出回るお金が増える。
つまり、積極的に紙幣を刷って国のお金を増やすのである。
これにより、市民がお金を得られる可能性が増えるのである。次に、お金の価値は下がり、若干ながら物価が上昇しインフレーションの方向へと向かう。
お金よりも現物の方が、価値が上がるので、貯金するより物を買った方が得だという方向にシフトしていく。
そこで物価上昇の為に、人々が貯金する可能性がその度合いにより低くなり、市場にお金が出回る量が増え、また機動的になるのである。
これがなぜ先ほど述べたケインズ経済学よりも優れているかというと、上記の『競争市場を阻害する可能性』を回避できるからである。
競争市場は維持されると、ケインズ経済学の秘める政府支出による援助で発生しうる「努力しない者が救われる」という共産主義的フリーライド問題が生じるという欠点を補完できるのである。
だが、この一見完璧に思える政策にも問題があった。
ゲーテ著の『ファウスト』をご存じだろうか。
その物語の二部の第一幕。
皇居に仕え始めたファウスト博士が、皇帝に登用されるよう、悪魔メフィストフェレスが手引きした際のことである。
宮殿の閣僚たちが、国庫が尽きて財政難に悩んでいるところを見て、メフィストフェレスは皇帝にささやいた。
「将来取れると思われる領地内の地中に眠る財宝を担保に紙幣を刷るのです。金銀財宝に比べて紙幣を刷るとはいかに簡単なことか!さあ、小さなことに悩んでいないで、人生を楽しもうじゃないか!」
これにて財政難は解決されるわけだが、悪魔との契約が、後に何を意味するのかは周知のことだ。
これを知る者は、強く反対した。
というより、古来からタブーとされてきた禁じ手を使うというのである。
今まで、そのような学説が唱えられても、恐ろしくて誰も手を出せずにいた。
だが、彼は違った。
自ら進んで手を挙げて、名乗り、その禁断の扉に手をかけた。
とは言え、ベンの『ヘリコプター作戦』はなかなか承認が下りなかった。
それもそのはず。
なぜなら、禁じ手なのだから。
しかし、増々、状況は悪くなっていく。
悪魔の所業だろうがなんだろうが、背に腹はかえられない。
そこで、議会は渋々、この『ヘリコプター作戦』を承認することとした。
こうして、ベンは『見えざる手』の主の御前に立った。