日本古典文学を題材に小説連載・映像化!『遠い昔、はるか彼方』の日本の話を広めたい
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ベンの錦~final~
時代は繰り返す
すると、次にその席に座ったジャネットは、早々にこの<錦>の切れ端の存在に気づいた。
少し放置しておくと、いつの間にか、その切れ端のサイズが大きくなっていた。
その切れ端は、優秀な副議長フィッシャーというサポーターであり、世論を安定させるスタビライザーを呼び寄せた。
彼が発した、冷静沈着で合理的な言葉の数々によって、当初、FRB史上初の女性議長ということで不安視された見解が払拭された。
とりあえずの『安定』を手に入れたジャネットは、またその錦に目を遣ると、今度は増えていることに気づいた。
いや、彼女は当初から気づいていたのかもしれない。
とにかく、彼女はこの増えている錦を下地に使うことにした。
とは言え、彼女はそれまでとは異なる『新しい』何かを求められていた。
もちろん、彼女はこれに応えた。
しかし、政策はベンのときと比べて、タカ派(雇用よりも競争市場により成長を重んじるグループ)よりもハト派(雇用をまず肝に据え、若干成長速度が弱まるが、より国内の市民全体に配慮するグループ)に移行するという以外は、さほど変わったようには見えない。
だが、変わっているのである。
なぜなら、自ら<動く>ではなく、市場を<動かせる>に変遷したからである。
では、どのように行われたかと云うと、たいしたことはない。
それは『言葉』を用いたのである。
もともと、ベンの行ったQEで市場にお金を増やした効果がようやく効果を発揮し始めたということもあるし、日本における日銀のQQE(量的質的緩和)によるドル高方向への推移と連動したことも挙げられるが、この恩恵をどう守るかということが論点となった。
こうなると、国際金融市場とアメリカ市場はFRBのかじ取りに左右される。
ジャネットは、そこで利上げの時期と急激なドル高不安を前に『忍耐強く』などと曖昧な言葉で市場を翻弄した。
こうした巧みな言葉という魔法を使って、アメリカ国内は元気を取り戻していった。
市民の家では、それまで引きこもっていた息子や娘がやっと外に出られるようになった。
また、将来に絶望する人間が根絶するわけはないが、それでも以前よりもこうした人間の数が減少。
まだまだ油断できない状況にはあるが、それでも以前よりも多くの人々の間に純粋な笑顔が戻って行った。
これを思うに、この物語は、日本に伝わる昔話の『ちょうふく山の山姥』に似ている。
『ちょうふく山の山姥』とは以下のような話だ。
昔ちょうふく山という山に住んでいた山姥が子供を産んだことから、山の麓(ふもと)に住む村人に祝いの餅を持ってくるように要求した。
村人たちは餅をついたが、山姥への恐怖心からなかなか持っていくものが現れない。
村人たちの話し合いの結果、村で乱暴な二人の男に任せることにした。
しかし、二人も山んばが怖いことに加え、そもそも道を知らないことを理由に首を縦に降らな買った。
そこで、村人たちは村で最年長であった『大ばんば』を道案内役につけることで二人に山へ向かわせることに成功する。
しかし、山を登っていく途中で山んばの声が聞こえると、二人の男は大ばんばと餅を置いて逃げていってしまう。
残された大ばんばは、やむなく餅を置いて、頂上まで行き、山んばの家を訪ねて、事情を伝えた。
すると昨日産まれたばかりの『まる』という子どもが餅の回収に向かい、すぐに餅を担いで帰ってきた。
その後大ばんばは山んばに引き留められて二十一日間山んばの世話をした。
山姥は大ばんばの帰途に際し、「お礼の品」として<錦>の反物(たんもの)を渡し、大ばんばはそれを持って下山した。
村に戻ると大ばんばの葬式がちょうど開かれていた。
大ばんばが帰ってきたことに村人は驚いた。
大ばんばは事情を話して、山んばからもらった錦をみんなにも分けてあげたが、不思議なことにこの反物はいくら使ってもなくなることがなかった。
ジャネットの言葉は、この物語の冒頭に村人を脅した山姥の言葉に通ずるものがある。
というのは、『ちょうふく山の山姥が子を産んだ。だから、餅を持ってこい。さもなくば、お前たちを食うぞ』と云い村人を脅かすが、その物語の中で、『山姥は弱っていた』という事実があり、この事実から実際にそんな激しい行動が取れる状態だったかどうかは疑わしい。
また、それを届けにいった老婆が、山姥の奉公のお礼と持ち帰ってきた錦を、どうとらえるかと考えるのも面白い。
少なくとも、老婆とベンを重ね、一人の人物の勇気がもたらした恩恵であることは確かだ。
それに加え、そもそも錦を山姥が、やってきた村人にあげる予定であったのならば、またその人物に没我的勇敢さを持つ人間像があることを考慮していたならば、山姥の最初の言葉によって始終、村人は山姥の手の平で踊らされていたわけである。
これをジャネットのくだりと重ねてみると実によく似ている話である。
ただ、この二つの物語は時代もはるかに異なれば、国も遠く離れた話である。
まことに奇しきことなり。