日本古典文学を題材に小説連載・映像化!『遠い昔、はるか彼方』の日本の話を広めたい
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この矢をば~Part1~
クセモノ
それは雲一つない一面真っ青の晴天であるが、木々は大きく揺れていた。
烏帽子(えぼし)が飛ばぬかと気になる天候である。
宮中に仕える人々は、片手は頭をおさえ、もう片方は風に飛ばされぬよう精一杯の力を拳(こぶし)に込めて、せかせかと歩いている。
なぜそんなに慌ただしいかと云えば、位の高い人々が『弓遊び』をするというからだ。
これを集めたのは「師殿」と呼称される藤原伊周(これちか)である。
師殿は、それを父である道隆(みちたか)が所在している南院で行うこととした。
これにはいくつか理由がある。
一つには、師殿が一族の栄華(えいが)を世に知らしめる為である。
ドイツの哲学者ヴァルター・ベンヤミンが『複製技術時代の芸術作品』という著作で述べているが、芸術・祭り等といった希少性を有するもの(得難きもの)を所有・主催・公開することは、その主体となるものの権威(けんい)を誇示(こじ)するという。
ベンヤミンはその希少が故(ゆえ)の価値を<アウラ>と述べたが、本件もこの手の類と同じように<アウラ>という虎の威を借る狐のような政治戦略なのである。
加えて、その<アウラ>の主体として、師殿は自分の得意芸である『弓遊び』を選んだのである。
二つ目には、師殿の得意芸として『弓遊び』の<腕前>を公的な場で披露(ひろう)することで、その名声を得ようという作戦である。
人と比較した際、『見てくれ』や『才』というものが秀でていることは、それ自体が権威に対する妥当性を人々に抱かせる。
例えば、フランス革命期前期までの軍事制度は、上級官職の地位に至るためにはその『見てくれ』が重要であった。
しかし、『見てくれ(容姿)』については今一つと云われていたナポレオンが台頭すると、その制度は大きく改変し、『実力』や『才』がその地位を決めるという近代的な登用制度に移行した。
その『見てくれ』も大事であるが、『才』というのはこの『見てくれ(容姿)』が今以上に重要視された(それほど文明が進んでいない)平安時代でも、「歌人の競い合い」も然り、その『才』が名声と地位の昇格には必要であった。
もう一つには、この時代の高貴な人々が社交の場として『蹴鞠(けまり)』や『歌遊び』といった交流行事が頻繁(ひんぱん)に行われていたことにある。
この点では本件は特に珍しいことではないのだ。
とにかく、様々な思惑が交じり合ったこの催しは、師殿によって開かれた。
高貴な人々が集まってくる。
そこへ一人だけ見慣れぬ顔が南院へと吸い込まれていくのを人々は目にした。
目撃者たちは他者の顔を見つめあい、口々にあらぬ噂(うわさ)を次々と語り合う。
その男はそれを敢えて無視した。