1mm間隔のスリットが魅せる、繊細な新しい世界。指先から生まれた光の写真集の物語

1mm間隔のスリットが魅せる、繊細な新しい世界。指先から生まれた光の写真集の物語

喪失しても日々は続く

ノートルダム焼失

ノートルダム大聖堂が焼失した。友人の画家から電話があって、信じられない感じだった。カフェに設置された大型テレビは普段はサッカーを流しているがこの日は燃える大聖堂の映像をずっと流し、いつもは陽気に喋っているおじさんたちが沈黙の中でそれを眺めていた。 私がパリに来てから5年以上になるが、シャルリーエブドの襲撃事件からパリ同時多発テロ、最近の黄色いベスト運動まで、パリは色々な動乱の渦中にある。正直多すぎるくらいに感じていたが、このノートルダムは本当に不意打ちだった。
年明けにふらりと立ち寄った時。まさかこれが最後になるとは思いもしなかった。まだクリスマスの飾りが残っている。

日々は続く

本当に不意打ちで、失ったものは大きい。ノートル・ダムは、「私たちの婦人」つまりマリア様を意味している。慈愛の場所が、いつもそこにあると思っていたものが突然に消えることの喪失感を感じている。 しかし一方で心は(驚くほど)前を向いている。多くのフランス人もそう感じているのではないかと思う。失うことは日常に常に存在する。人や物に限らず、このような大きな存在の消失もあれば、小さな消失を日々繰り返して私たちは生きている。消失があればまた作り直すしかない。確かに全く同じものはできないかもしれない。しかし先人の残した記録と現代に生きる人の知恵が融合して、いつか再び現れるノートルダム大聖堂を観たいと強く感じている。大丈夫、それはまた素晴らしいもにになる。
今回の事件の前日までパリの南の郊外の温室で展示に参加していました。作品に光が透り、人を照らしていました。

作品、本への影響

本の編集は大詰めを迎えています。 この事件のあった日、丁度巻末の文章を書いているところでした。この出来事を受けて一部これを受けて書き直しています。なぜならこの事件は私の作品の世界にもリンクしていると思うからです。希望というのは決して安易に使うものではないですが、しかし一方で生きている限り希望を持っていかなければならない。私の本の写真は色々な物語を含み、時には「重い」ものもありますが、それも含めて全てが前を向けるような、そういう内容にできたらと思います。 どうか本を世に出すためにお力を頂けたら幸いです。
本の追い込みで作品制作中です。資金が集まるほど本のクオリティーを上げられます。
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