1mm間隔のスリットが魅せる、繊細な新しい世界。指先から生まれた光の写真集の物語
大詰めです
3月に始めた時は長いなと思いましたが残りわずかです。
核となる作品は完成していますが、ジグソーパズルを埋めるかのように、核と核を繋ぐ作品の作成が大詰めを迎えています。この写真集づくりは去年の夏から始まっていましたが、内容を深めていく中で沢山自分の作品を深めていきました。小さなこだわりが消えて、カラーもモノクロも、デジタルもフイルムも、表現技法すら写真とドローイングを入れて、この本に「指と星」の世界を構成しています。
私は写真を撮る時、写真に映るは被写体ではなくて、撮っている人自身の投影でもあると感じていますが、この写真集自体も、今の私が伝えられることを出し切ったものだと思います。支援の額が増えるほど、本のクオリティーをあげる事ができます。お力を頂けたら幸いです



一年近い編集の中で、技法の壁を超えて、表現し、明らかになる世界を提示していけたらと思います。
私以外に2人の方の文章が載ります。
この本には「写真集」とはいえないくらい文章が載ります。私自身の文章に加え、評論家のタカザワケンジ氏と写真家の齋藤陽道さんにも文章を頂きました。写真はビジュアルの表現ですが、その世界をお二人の言葉がまた変換して、活かして頂けている事が嬉しく、一人でも多くの人に読んで欲しいという気持ちを新たにしています。

齋藤陽道さん
齋藤陽道さんは、私にとって縁のある方です。もう十年前近くになりますが、canonの写真新世紀という若手写真家の登竜門で、優秀賞を取った彼が最終審査で行なったプレゼンがとても熱くてそれをずっと覚えていました。私自身、光が作品の大きなテーマですが、齋藤さんも光が強く写真に入り、世代的にも同じ。しかし私とは全然違う光、彼のとてもまっすぐな光にずっとその存在を忘れる事がありませんでした。今回思い切ってご連絡したら快諾して頂きました。頂いた文章をはとても大切なものです。
今回、許可を頂いて齋藤さんの文章の一部を公開させて頂きます。(文章全体は「指と星」に英訳付きで載ります)
「記憶の肌を切りひらく」
澄毅の写真を見ているうちに、雑誌をスクラップすることはたくさん
やってきたけれど、自分にまつわる印画紙の写真を切りひらくというこ
とは未体験なことに気づいた。試しにと押入れから昔の写真をあさる。
ネガも紛失してしまい、もう複製することのできない一枚きりの写真。
カッターを手にとり、写真を切りひらく。二センチほど切った瞬間、
なにかが無性にざわついた。切り裂かれた部分は、ぱかりと唇が開いて
いるかのように反り返っている。その切れ込みが元に戻ることは、もう
ない。その当たり前さにうろたえた。うろたえるそのとき、目の前の写
真は「一枚の紙切れ」ではなく「記憶の肌」とも言うべき艶めかしさを
もって存在していた。
傷つけたくはない。けれども、傷があればこそ、忘れていた細かな記
憶が立ちのぼる。感じたことのない感情までたちあがる。痛く、甘い。
新しいのに懐かしい記憶と出会いながら、切りひらいていく。---
