30周年の感謝を込めてこんにちは、下山静香です。
今年がリサイタルデビューから30年になるとは、夢のような信じられない気持ちです。
ここまで続けてくることができたのも、ご縁をいただいた多くの皆さま、そして、ブログや書籍をお読みくださったり、どこかでCDを手にとってくださったりしたたくさんの方々のおかげと、感謝の気持ちでいっぱいです。
ほんとうにありがとうございます。
![]() スペインでのリサイタル
山あり谷ありのピアノ人生![]() 発表会(6歳)
物心つく前からピアノに向かい、3歳のうちから東京までレッスンに通っていた私は、最初の発表会の記憶もおぼろげです。
無邪気な子供時代は、とても熱心な先生のもと順調にピアノの道を進んでいるように思えましたが、音楽高校に入ってからは、将来への不安や思春期の不安定さも加わり、自分の中にある音楽と実際に表現できるものとの乖離に悩み、出口の見えないトンネルを闇雲に走っているようでした。
そのまま大学に進みましたが、ついに限界がきたのは20歳を迎えるころ。
思い詰めた私は、ピアノ演奏専門の道ではなく、総合的な芸術舞台にかかわる方が向いているのではないかと考え、大学を中退してアメリカに留学したいと、高校受験前から師事していた教授に直訴したのでした。
先生にとっては寝耳に水の爆弾発言、たいへん驚かれ、そして心配してくださいました。
「せっかくここまでやってきたのだから早まらずに… まずは卒業してからまた考えてみるのも良いのではないか」とあたたかいアドバイスをいただき、また、気分を変えて違う先生についてみるのもよいかもしれないね、とおっしゃってくださったのでした。
私としては、すでにアメリカの大学とコンタクトもとり、TOEFLの受験準備も始めていましたが、すぐに飛び出すことはせず、日々を精一杯こなしているうちに、いつの間にか大学4年次になっていました。
ここまできたら、先生のおっしゃったように卒業したほうがよいのかもしれない、と思い、卒業試験を経て、晴れて卒業となったのでした。
第二のピアノ人生が始まる高校入学時から好きで力を入れていた室内楽、そちらも深く取り組んでいきたく思っていたところ、最後に受けた室内楽試験(ヴァイオリンとのデュオでストラヴィンスキー)で良い評価をいただき、室内楽研究科に籍をおけることになりました。
そこで出会ったのが、メシアンの愛弟子で、長年住まわれたフランスから帰国されて室内楽などで大活躍されていた、藤井一興先生でした。
そして毎年通った京都フランス音楽アカデミー、青柳いづみこ先生のドビュッシー演奏講座などでも多くのことを吸収させていただき、自分のテクニックをゼロからつくりなおしていました。
そんなある日、藤井先生からこの言葉をお聞きしたのです。
「あなた、リサイタルをやりましょう!」
1995年のデビューリサイタルそれまで考えたこともなかった、ソロでのリサイタル…
当時、都内の主要ホールで演奏会を開くというのは簡単なことではありませんでした。
突然のお言葉に、自分の耳が信じられない思いでしたが、先生はすべての段取りをしてくださり、私は夢中で準備をしていくことになりました。
そしてやってきた当日は、あの阪神淡路大震災の翌日…
目に入ってくる信じがたい映像に大きなショックを受けながら、いまは集中しなくてはと自分に言い聞かせ、今はなき津田ホールのステージに立ったのでした。
![]() デビューリサイタルのフライヤー
自分の音楽を求めて![]() 2回目のリサイタル
それから3年後、2回目のリサイタル。
ここで私にとって大きなことがおきました。
演奏中、表現したい音楽があるのにそれを伝えられていないという感覚に襲われたのです。
楽屋に戻った私は、このままではいけない。いま自分を縛っているもの(それは自分の中にあるのですが)から自由になって、本来の自分で生きなければ!と強く思いました。
そして、徐々に私の中で大きくなっていた「スペイン」に呼ばれるように、日本を離れたのでした。
スペインでの再生ありがたいことに、文化庁派遣の芸術家在外研修員となることができ、右も左も分からないままにスペインでの生活が始まりました。
オープンで率直、温かいスペインの人々のマインドに大いに助けられ、余計なものがどんどんとれていき、私は生き返ったようでした。
スペインを身体中の細胞で感じながら、スペイン音楽の研究に集中できた幸せな4年間でした。
![]() モンポウ夫人・ピアニストのカルメン・ブラーボ女史と
そして試練一時帰国して2001年に東京文化会館小ホールで開催したリサイタルの直前、またしても事件がおきました。
リサイタルまであと1週間というとき、右腕が完全に麻痺してしまい、指一本、ピクリとも動かせなくなったのです。
大病院では原因がわからず治療もできず、わらをもすがる気持ちで駆けこんだ整体の先生により、骨盤のずれにもともとの原因があるとわかり、往復4時間近くかかる治療院に毎日通って調整していきました。
奇跡的なことに、前日になってなんとか手をひらけるようになり、リサイタルはキャンセルせず開催することを決断しました。
当日は、その先生にも楽屋に控えていただいて、手首にはテーピング、開演前と休憩中に鍼を打ち、後半で使えなくなってきた指はその場で違う運指に変えながら、なんとか弾き切ることができたのでした。
1週間ピアノにさわらないままリサイタルを迎えるとは、若さゆえの無謀さを感じますが、とにかく終えられたことは奇跡的でした。
そしてこのとき、「ピアノが弾けなくなったら、どうやって生きていくか」ということを、現実味とともに考える機会となりました。
いつ、何があるかわからない。
だから今を思いきり生きる。人生とはその連続なのだと、スペイン生活で会得したことを、さらにリアルに実感した出来事でした。
大震災、コロナ禍を経て…帰国後は、スペイン・ポルトガル語圏の音楽を中心に、北欧音楽を活動軸とするデュオ・アニミス結成など、活動を広げてまいりました。
大震災やコロナ禍など、多くのかたが傷つき、また音楽家もみな活動制限を余儀なくされた、辛い試練の時期もありました。
その後時代がめまぐるしく変化するなか、前を向き、真摯に音楽を表現し届けていらっしゃる音楽家の方々をとても尊敬しており、またその姿にいつも勇気づけられております。
そして迎えた、リサイタルデビュー30年の節目。
いま響かせたい、届けたい音楽が自然に浮かび、曲目が決まっていきました。
たどってきた道筋と、いまを繋ぐプログラム今回のリサイタルは、霧の向こうから響いてくるノスタルジアのような、ウクライナの現代作曲家シルヴェストロフの音楽から始まります。
《メッセンジャー(使者)》は、今回のリサイタルに託した私の思いでもあります。
そして、子供の頃、この果てしない宇宙に自分が存在するという神秘を感じさせてくれた、バッハ。
前半の最後には、先にお話しした藤井一興先生に捧げたく、フォーレを選びました。
藤井先生は、今年の年頭に急逝され、大きなショックと悲しみに襲われました。
その日は、先生がつくってくださった私のデビューリサイタルと同じ、1月18日でした…
演奏をとおして、深い感謝の気持ちをお伝えしたいです。
後半は、同世代の作曲家、伊左治直さんの《虹の定理》。
スペインの詩人・劇作家ロルカの同名の詩にインスピレーションを受けて作曲されたものです。
そして、ロルカが敬愛し、一時期親しく交流していたファリャの《スペインの4つの小品》。
最後に、メキシコの現代作曲家マルケスによる人気オーケストラ曲《ダンソン No.2》を、ピアノソロバージョンでお届けいたします。
![]() リサイタルのフライヤー
オリジナル衣装誕生の経緯![]() 通った小学校近くの桐生新町重要伝統的建造物群保存地区
私は群馬県桐生市に生まれました。
桐生は古くより織都として栄え、天領だったこともあり独立独歩の気概が強く、独創的なクリエイティビティが宿るまちとして知られています。
出身者には多くの素晴らしい人材がいらっしゃいますが、世界のテキスタイル界・ファッション界から「布の魔術師」と高く評価され、みずからを「テキスタイルプランナー」と称した新井淳一氏もそのお一人です。
絹の帯をつくる織物職人の家に生まれた新井淳一さんは、10代前半から織物の道に入り、戦後は革新的な素材と、実験を重ねて編み出した方法で、斬新な布地を創り出していきました。
クリエイターのインスピレーションをかきたてるそんな布地を求めて、パリコレのデザイナー、関係者たちがこぞって桐生詣をする現象が起きたそうです。
私がまだ20代の頃、様々なジャンルのアーティストたちが新井さんのアトリエに集う恒例の新年会に参加させていただき、活発に交わされる芸術談義を胸躍らせながら聞いていたことが懐かしく思い出されます。
2017年に惜しまれつつお亡くなりになりましたが、氏が遺した布地は宝物のように重要なものとなっています。
生前、私のドレスを創りたいとおっしゃってくださっていたという新井さん。
それだけでも光栄なことなのですが、このたび、「新井淳一記念工房」さんのおかげで実現するというお話は、ほんとうに夢のようで、その感激はひとことでは言い表すことができません。
今回のリサイタルでは、前半と後半の演奏曲目のイメージに合わせて染色と加工が施された布地を使用し、前半の衣装を真砂三千代さん、後半の衣装を青木りつ子さんが、完全オリジナルでご制作くださることになりました。
お二人とも素晴らしい衣作家のかたでご多忙を極めていらっしゃるなか、「新井淳一氏の布ならば」と特別にお引き受けくださり、心より嬉しく、感激しております。
リサイタルに向けて、そしてそれからの道![]() CDジャケットの撮影セッションにて photo by ASUMI
思いをのせたリサイタルを、ご支援くださる皆さまとご一緒につくることができたなら・・・
そして、感謝の気持ちをお返してできたら・・・
そのような思いから、こちらのプロジェクトを立ち上げさせていただきました。
今回のリサイタル開催にかかる費用(会場・ピアノ等使用料、著作権使用料、ピアノ調律費用、印刷物制作・印刷、通信費、広告宣伝費など)85万円(最低限試算)のうち、衣装2着のデザイン・制作にかかわる費用と音源・映像収録費用の一部25万円を、皆さまにご支援賜ることが叶いますならたいへん幸せです。
この30年という年月のあいだに経験した喜びと苦悩、希望と絶望、それらすべてにかかわってくださったすべての方々に感謝し、常に新生していく気持ちでこれからも演奏してまいる所存です。
ご支援いただいた皆様には、ぜひ特典を活用していただき、音楽をとおして交流させていただけたらと思っております。
何とぞよろしくお願い申し上げます!
■特定商取引法に基づく表記
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