竹内 正和(たけうち・せいわ)
Curio School共同設立者/ネオスクール代表取締役/学校法人旭学園理事
慶応義塾大学理工学部卒業後、旭化成(株)が社内ベンチャーとして始めたMRI研究所でソフトウェア開発を担当。その後、現シーメンス・ジャパンでMRIのマーケティング部門で日本での販売台数を約10倍にする。革新的な技術を産み出す原動力は教育であるはずなのに、日本と欧米との教育格差を改善しようと1991年に愛知県で私塾を立ち上げる。米国シリコンバレーにある革新的な教育で有名なThe Nueva SchoolからPBLを導入し、日本の学生に適したプログラムを2002年から実践し続けている。現在、(株)ネオスクール代表取締役、学校法人旭学園理事、その他NPOや学生団体の後援をし、人材育成をしている。
今から23年前のことである。私は現シーメンス・ジャパンの東京支店でMRIのセールスポロモーションの担当をしていた。ある晩、同僚のドイツ人達と雑談していた時に、
「自動車や飛行機など革新的な技術がなぜ欧米から生まれることが多いのか?いったい何が違うのだろうか?」という話になった。
すると1人のドイツ人が、次のように言った。
「竹内さん、学校の内容がまったく違うんですよ!」
この言葉は私にとって雷が落ちたような衝撃を受けた。単に国民性や文化文明の違いだと思っていた私には、教育の違いが技術革新や創造性の問題に直接関係するとは思ってもいなかったからだ。それ以来、私は教育について関心を持つようになった。
日本人はコンセプトが決まれば芸術的なモノを作ることができるが、ゼロからコンセプトを創ることは苦手だと言われている。細かく観察して、模倣し、日常的に改善する能力には優れているが、独創的な発想を生み出すのは苦手なのかもしれない。
将来のことを考えて悶々とした日々を送っていたが、ついに故郷の愛知県に戻り、自宅を改装してネオスクール・セイワ塾と名付けた私塾を開校することを決心した。1991年12月25日クリスマスのことである。それは知識偏重の受験教育だけではない、ゼロから考えることができるクリエイティブな人材を育成するための、当時としては珍しいコンセプトの私塾だった。
23年前といえば今ほど少子化ではなかったので、受験競争も厳しい時代だった。そういう時代において、受験勉強以外にゼロから創造するチカラを養う講座を準備しても、保護者も生徒も全く興味関心を示さなかった。しかし、2002年度から実施された所謂ゆとり教育の中で、総合的学習が話題となり日本でも科目横断型の授業が学校に導入されると、ようやく保護者と生徒からも理解をしていただけるようになった。当時の学校で行われていた総合的学習は夏休みの自由研究をグループでおこなっているような印象で、担当教師の力量に委ねられていたため、クオリティーがバラバラだったようだ。もっと体系的に総合的学習をしている学校はないのだろうかと考えて、調べたところアメリカにはPBL(プロジェクト・ベース・ラーニング)という方法を実践している学校が増えていることが分かった。
そこで2002年の6月、私はアメリカ西海岸にある幼稚園、小、中、高校の授業見学のために2週間ほど視察へ赴いた。その時に見た授業内容があまりにも日本の授業と違い衝撃を受けて、この素晴らしい教育方法を、その夏に生まれた自分の子どもにも受けさせたいと強く思ったことが昨日のことの様である。
当時のアメリカでは学校の運営形式が多様化し始めていた。家庭を中心に教えるホームスクール、親たちが教師を雇って運営するチャータースクール、教育振興券を使って運営するバウチャースクール、芸能やスポーツなど特別な内容に特化するマグネットスクール、株式会社で運営する学校などが乱立していた。教育も自由なアメリカ。新たに問題となっていることもあるようだが、この自由さが、アメリカの教育、ひいては社会そのものをダイナミックなものにしているのではないだろうか、そう思わずにはいられなかった。
サンフランシスコとシリコンバレー、シアトル、ロサンジェルスにある20校近くの公立および私立学校を視察した中で、最も強く印象として残っているのが、シリコンバレーにあるThe Nueva School(以下、ヌエーバ・スクール, http://www.nuevaschool.org )と、ロサンジェルスにあるThe Accelerated School(以下、アクセラレート スクール, http://www.accelerated.org )である。この2校で行われていたPBLなどの教育プログラムを、早速ネオスクール・セイワ塾にも取り入れてみたが、ファシリテーターの育成に課題が残ったり、プログラムが生徒になじまないという理由で失敗したこともある。それにもかかわらず現在でも試行錯誤を繰り返して、日本の子どもたちが持つ能力を見つけて伸ばす教育を実践し続けている。
こうして開塾以来たくさんの子どもたちを指導してきた。大手の塾と違い卒業生の人数はたかが知れているが、ネオスクール・セイワ塾のDNAを受け継いで巣立っていき、医者、歯医者、薬剤師、弁護士などの専門職や大中小の一流企業をはじめ、サッカーや芸能の分野でも自分の持っている「武器」を駆使して日本や世界で活躍し始めている。その中には6年から9年在籍していた生徒もいるが、彼らは受験勉強のためだけにネオスクール・セイワ塾に通っていたわけではないようだ。子どもたちが持っている能力を見つけて引き出すことを通して、彼らが将来の武器となるものは何かということを気付かせるeducationをこれまでも実践してきたし、これからも実践し続けたい。21世紀を生き抜く若者たちには、このクリエイティブな考え方が、あらゆる分野で必要になっていくであろう。クリエイティブな発想は、音楽や芸術の分野だけに必要なことではない。誰でもどんな分野でもクリエイティブになれる時代が、目の前に来ているのだ。そして日本ではこのキュリオスクールが、その場所の1つなのである。
こうした教育をネオスクール・セイワ塾で実践している中で、2011年にNHKのEテレで「スタンフォード大学白熱教室」という番組が放送されてからは、専門分野を横断して問題解決をするプロジェクトベースの、しかもクリエイティブな人材育成をするデザイン思考などの方法が日本でも有名になってきた。その頃、後にCURIO SCHOOL代表となる西山恵太氏と知り合い、元ヌエーバスクールで教鞭をとっていた川崎由起子(現CURIO SCHOOL取締役)氏らと共に、日本にもヌエーバスクールをモデルとしたクリエイティブな人材を育成する教育機関CURIO SCHOOLを立ち上げる決意をしたのである。23年間構想し続けてきた夢が、とうとう現実となる日が近づいてきた。
このCurio School設立を実現するためにも、クラウドファンディングによるご支援を何卒宜しくお願い致します。