過疎化する宿場町にみんなが集まるおいしいコーヒー屋をつくりたい!

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【往復書簡】SOL'S COFFEE中島より、DEKITA時岡さんへ 1通目

DEKITA 時岡さんへ

いま、福井県に向かう車の中でこの文章を書いています。 東京は暑さが収まって、ホットコーヒーが美味しい季節になってきました。 熊川宿はもう肌寒いですか? 若狭のあの清々しい空気をもう一度吸い込むのを楽しみにしています。
クラウドファンディングでの熊川宿の紹介と、 支援してくださっている皆さまに活動報告として、 時岡さんに手紙を書くというかたちで、 SOL'S COFFEEとDEKITAとの関わりを書いていきたいと思いました。
東京のSOL'S COFFEEで店頭に立っていると 「なんで福井なの?」とよく聞かれます。 そんなときに決まって「水が美味しかったから」と言っています。 もちろん水も大きな要因の一つですが、やっぱりそれだけじゃない。 それはなんだろうかと何度も考えていました。
初めて福井県若狭熊川宿に訪れたとき、宿場町の街並みに見とれました。 美しいとか、 雰囲気があるとか、 そんな言葉では言い表せない厳かな空気がそこにはあって、 例えるなら映画の中にいるような、物語のなかの街。 そんな想像力を掻き立てられる景色がありました。
熊川宿に自分自身がいるだけで、 今までの人生とは別の人生の可能性があるんじゃないかと思わずにはいられませんでした。 こんなこと言うのはおかしいかもしれないけど、 人間は今の人生とは別の人生の可能性があると想像できるだけで幸せだと感じられるそうなんです。
自分はまさに熊川宿で別の人生の可能性を垣間見ただけで幸せな気持ちでした。 自分がそこで別の人生を送れなくてもいいんです。 SOL’Sのスタッフやお客さんたちにもこの空気を味わってもらいたいと思ったのが、熊川宿出店の大きな理由の一つです。
その後、時岡さんには若狭のいろんな場所に連れてってもらいましたよね。 無人島が遠くに見える砂浜や、 ひとつひとつ水質が異なる5つの連なった湖、 長い長い参道が息が止まるほど美しい神宮寺や、 焼き鳥の名門秋吉の純けいを見るにつれ、 この土地に店を出したいという想いは強まっていきました。
東京でバリスタとして働いていると、 このコーヒー豆がどこから来たかということばかり話していて、 それ以外のこと、 例えばこの水がいったいどうやってきたかとか、そもそも自分自身とは何なのか、 どう生きるべきか、日本人はどこから来たのか、忘れてしまいます。
福井県若狭には日本に渡ってきた大陸系渡来人たちの遺跡や、縄文時代の遺跡がたくさんあります。 あるだけじゃなくて、想像力を湛えた状態でそこに横たわっている。 そのそばで同じ空気を呼吸しているだけでもバリスタとして考えずにはいられません。
コーヒー屋は世界経済と、町場や家計の感覚のぶつかる場所でもあります。 いま、ゲイシャのコーヒー豆が高かったり、 コンビニコーヒーが安価に手に入ったりするのはすべて、 世界の貿易の状況と生産者の地位を保障しようというスペシャルティコーヒーの運動の成果でもありますし、 独立したコーヒー屋が増えて消費者の感覚が変わってきたのは、 スペシャルティコーヒーのデザイン性ばかりが取り沙汰されて形骸的なブームが起こっていることも一因ですし、 人生をいかに生きるべきか挑戦する経営者が増えて、 個人が自身のアイデアを経営に生かす時代がやってきたことも一つの要因だと思います。
コーヒー屋がコーヒー豆の産地と関わることと同じくらい、 湧いたばかりの水と触れ合うこと、人間と歴史のルーツに触れることが大事だと考えています。 エチオピアの人も、ブラジルの人も、インドネシアの人も、 自分たちの歴史があり、 物語があって、 世界や経済に引き裂かれた状態でここ日本まで生豆の状態で届けられています。 彼の国の人々とコーヒーというビジネスを通して手を握りあう上で良き友であるために、 日本のコーヒー屋も、 自分たちの歴史と物語とどう引き裂かれたか、 わかっていたいと思いました。
時岡さんのDEKITAさんとわたしたちSOL’S COFFEEは これから熊川宿で一緒に日本の「地方」という問題に取り組んでいくことになります。 そのことをネガティブに思わないのは、 時岡さんが若狭を案内してくれたことで、わたしたちがもうすでに偶然に幸せを発見したからだと思います。 ありがとう。
この文章は往復書簡として発表していきますので、時岡さんもお返事書いて載せてくださいね。 クラウドファンディングはまだまだ開業資金に足りないので、一緒にがんばっていきましょう。よろしくお願いします。 SOL'S COFFEE マネージャー 中島祥
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