空の上の大切な人に想いを届けるための『空へのノート』

空の上の大切な人に想いを届けるための『空へのノート』

身にあまる光栄なる印刷

今、印刷は自宅のプリンターで誰でも楽しむことができますが、そんな時代が来るとは一昔前の印刷職人の方たちでさえ、思いもよらなかったのではないでしょうか。『空へのノート』のデザイナー、水崎さんが繋げてくれたご縁で、今回の印刷は、九州、福岡の文林堂、山田善之氏にお願いすることになりました。山田氏は昔ながらの活版印刷を今も続けていらっしゃる、心のこもった印刷をされる職人です。今、山田さんの元には使い手のいなくなった印刷機が一つ一つ集まり、修復され、もう一度息を吹き返し、また、歴史を紡いでいっています。 このアルビオン型印刷機もその一つです。日本でも明治初期に作られ、現 大日本印刷の創業に際しても用いられたと言われる印刷機です。2003年に、長崎印刷工業組合の所蔵庫に2台が見つかったという報告は、当時、印刷に関わる方々には、嬉しいニュースとなったそうです。それから13年の時を経て、そのうちの1台が山田氏の手により修復され、印刷ができるようになりました。こちらはわが国の印刷産業史に特筆すべき快挙と言えることなのだそうです。 私が、文林堂を訪ねた今年の夏のはじめ、山田氏は修復に関わられているとおっしゃっていましたが、その時はまさか、 そのアルビオン型印刷機で『空へのノート』が印刷されることになるとは思いもよりませんでした。山田さんも考えていなかったのではないでしょうか。 日本において金属活字による印刷が行われたのは150年ほど前に、長崎のオランダ通詞本木昌造が活字の鋳造に成功したからであるとされますが、9月2日本木昌造141回忌法要の式で稼動実演されたそうです。 その後文林堂、山田氏の元にやってきたようです。 9月5日から『空へのノート』カバーはこのアルビオン型印刷機で、山田氏により印刷されています。一枚一枚、淡々と想いを込めて仕事をされたのだと思います。『いいと思いますよ』『想像していたものよりもよくできました』という山田氏のお墨付きの出来となりました。この印刷機を当時使っておられたら印刷職人のかたも微笑んでいてくれるかなあ。皆様のお手元にお届けできるのがとてもとても楽しみです。
2003年に長崎印刷工業組合の所蔵庫に見つかったアルビオン型手引き印刷機
文林堂にて。アルビオン型印刷機
山田さん〜〜〜!!!写真ぼけてる〜〜〜とボヤいたら『家内がとってるから仕方がない』とのこと。ご容赦ください。(笑)
印刷後、並べて乾かされているところです。
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