"左手のピアニスト" の挑戦を成功させたい!4つの協奏曲に挑む傘寿記念コンサート
"左手のピアニスト" の挑戦を成功させたい!4つの協奏曲に挑む傘寿記念コンサート
南相馬と舘野泉さん
10月30日に南相馬での演奏会が無事に終わり、報道ステーションの取材も熱心なもので、ひとまずよかったです。今日は安心感で充実したいい気持で、何もしたくないところですが、そうもいきません。週末は八ヶ岳音楽堂で草笛光子さんとのコンサートがあるし、その前にショパンと音友の原稿を書かなくちゃなりません。それに、練習もね。マリアは家に戻って安心したみたいで、目下気持よく寝ています。
舘野 泉
11月4日八ヶ岳高原音楽堂にてリハーサルの様子
南相馬と舘野泉さんは、1995年から長年にわたり、地元のファンの方々と交流をもっています。その当時はホールもなく、演奏会はもっぱらホテルの宴会場や、福島市の音楽堂などを利用していました。それから、南相馬の皆さんの文化へ対する熱心な活動より、南相馬市民文化会館が2003年に新設します。設立時、舘野さんは脳溢血で倒れて演奏家としての活動をストップしていた時期でした。にも関わらず、市民の皆さんは、何の迷いもなく舘野さんを館長に歓迎しました。それは想像もできないほど、舘野さんにとって大きな励みとなり喜びであったことでしょう。それから間もなくして舘野さんは、「左手のピアニスト」として復帰し、舘野さんと南相馬市民文化会館との活動が活発にはじまりました。震災があり、一時南相馬市民文化会館は休館をよぎなくされますが、待ちに待った会館の復活にはヤンネさんとコンサートが開催され、今も、毎年1回の館長公演を行っています。最近では、小学校をたずね、体育館で演奏したり、学校給食を一緒い食べたり、アウトリーチにも取り組んでいます。
そして、南相馬の皆さんは舘野さんを応援する後援会「タピオラの会」をつくり、今も変わらずに館長公演を支えてもらっています。
しかし、そのような応援する方々があっても、南相馬は震災で大きな打撃をうけ、未だに電車が仙台にも福島にも不通で、長距離バスを利用するか、バスと電車を何度も乗り継いでいかなければならない交通の不便な場所であり、仙台でも郡山でも東京へ出たほうが早いという具合です。よって、県内からの集客は大変難しく、30日のコンサートも300名ほどのお客様にとどまりました。
そのような中で、報道ステーションの取材が行われました。番組のご担当者は、舘野さんと南相馬のこれまでの長い関わりに感激、感動して「真実を伝えたい」という真摯な思いから熱心な取材をされ、南相馬の皆さんもそれに気持ちよく対応してくださったので、きっと心に残る特集になるだろうと思います。
※報道ステーションの放送は、11月11日(金)3.11から伝える のコーナーです。是非お楽しみに。(生放送のため場合により放送されないこともございます。)
4曲のコンチェルトを演奏後、舘野さんは力を尽くしたという満足感と安堵感の涙と笑顔でした。
高関マエストロの的確で、ときに舘野さんの音楽を刺激するようでもあり、優しく寄り添うようでもあり、東京シティ・フィルの音楽も華やかさにも温かさが感じられるハーモニーで、お客様は少なかったけれど、熱い熱い拍手に包まれました。