支援者の皆さんと一緒に、日本の文化である美しい調べの「三味線」を世界へ広めたい!
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小松屋の代表小松英雄の三味線人生
三味線小松屋の社長 小松英雄とはどんな人のか?

三味線小松屋 代表小松英雄 三味線のことを熱く語る
小松屋従業員の赤澤です。今回は小松の三味線半生をみなさまに語ってみたいと思います。
弊社の代表小松英雄は少年時代は野山を駆け回り小刀を持ち歩きその辺の木を切って、弓矢や竹とんぼをつくるのが大好きな手先の器用なやんちゃな少年でした。
その少年が林業高校を卒業し、今では大手の製紙会社に就職しました。その時、趣味で出逢った民謡にのめり込みます。元々歌が大好きでいつかは演歌歌手になろうと思っていたとのことでした。
民謡教室で、民謡の先生から民謡には三味線の伴奏者必要だからお前弾いてみろ!と言われたそうです。民謡の先生からその時譲りうけたお三味線の演奏をきっかけに唄よりもお三味線に夢中にお稽古をした小松成年でした。お三味線好きが高じて、製紙会社を辞めて三味線屋に就職します。
そして、その運命的はお三味線との出逢いが、後に「三味線界のレジェンド」言われるほどの三味線売上成績の記録を持つ敏腕営業マン小松になるのです。
某大手三味線メーカーで何万丁のお三味線を売ったその記録はいまだに誰も打ち破ることはないかと思います。
某大手三味線メーカーで「伝説の小松」とまで言われたのに・・・
営業成績の良い営業マン小松に、三味線の会社に残って欲しいとまで懇願されましたが・・・
その三味線会社でどうしても小松が納得できなかったこと。
それは。。。。製品の質の悪さ。
「高品質で音が良い美しい三味線」をお客様にお届けしたい!!
その想いから一念発起して「三味線 小松屋」を設立します!!小松社長の誕生です!!
お三味線屋のメーカー・卸業を生業として、会社設立当時は民謡ブームもあり小松屋の高品質な三味線は沢山売れました。小松社長は理想のお三味線をお客様に順調に提供できるようになります。
しかし民謡ブームは長くは続かず、三味線奏者の高齢化の波にのまれお三味線が売れない時代の突入になりました。
若い方は、ロックやヒップホップ等海外の音楽に興味を持っているという現実です。
伝説の小松とまで言われた小松の苦悩がはじまりました。
三味線人工皮リプルは三味線奏者の中では評判に!!
構想10年、やっとの思いで開発した「三味線人工皮リプル」の誕生です!!
三味線の動物の皮を海外の方や日本の若い世代を中心に、戸惑う方が大勢いる現実と動物の皮は必ず破れその皮張りのコストが非常に高いことを懸念して、小松は三味線人工皮の開発に没頭します。
まずは、動物の皮(犬、猫)のお三味線の皮を眺めて研究からはじまりました。
皮を造ってくれる業者さん探しからはじまって、実際何度も何年もその業者さんところへ通い納得するまで打ち合わせをしリプルの原版ができました。今でも、その業者さんとのやり取りは続いてます。
それだけではありません。皮の加工方法も、皮張り機に至るまで小松の納得がいくまで改良が続きます。
何度開発の為にリプルを破ったことでしょう・・・。
皮張りが気に入らなくて、小松自身がリプルを小刀で切り裂いて破ったことも何度もあります。それは、まるで人間国宝の陶芸家が自分の作品を気に入らなくわざと割ってしまうようなものです。
赤澤も従業員としてリプルの皮張りのサポートのお付き合いしてますが、そのお三味線に張ってるリプルだけは破らないでくださいと小松に懇願しても何度も気に入らければ破ることは変わりませんでした。今も、そうです。
小松の三味線に対する並々の熱意はこの業界では誰にも負けないといっても過言ではないと思います。
小松を慕うお三味線奏者さま、業者様は沢山いるのはこの熱意に絆されてかな?と、赤澤は推測してます(笑)
二度の入院
夜昼関係なく働く小松はついに倒れてします。
二度目の入院の際は会社で倒れた為、わたし赤澤も救急車に乗り込みました。実は、わたしは介護士の資格を持っており元介護の仕事をしてましたので、救急搬送の付添は何度もした経験がありますので、小松の異常にはお蔭様で気づくことが出来ました。病院先で、小松は自分の娘さんに体を大事にしないと心配をかけてました。
それでは、小松のご家族にまで心配かけるような仕事はいかん!!そして、この世から三味線人工皮リプルの製造をとめてはリプルご愛用の三味線奏者さまにご迷惑をかける!!
と、小松が倒れないようにリプルを製造できる体制にしていき、味線本体や修理以外にリプル専門の納期管理、人員配備、チェック体制を独自に強化させました。今では、小松屋のスタッフに皮張りの技術も教え、安定した皮張り作業と更なる開発ができるまでになりました。
今では、どんなに仕事が忙しくても小松は最低限家で休めるようにまでなり、お客様にもリプルを安定供給できるようなりました。
リプルは順調!!お三味線が売れない!!元気な小松英雄が考えたこと
新たに開発したのが、おみやげ三味線「しゃみ小町」と、気軽に本格派三味線「しゃみボーイ」です。
この背景には、より低価格の三味線を世に出すことで、三味線文化を広めたいという決意がありました。
三味線本体はほぼ輸入品に頼っており、高級品ばかりです。せっかく「三味線を弾きたい」と思っても、特に若い世代はなかなか購入は難しいでしょう。何十万、何百万する三味線もあるくらいです。小松はそれを良いとはもちろん思っていません。
しゃみ小町やしゃみボーイも、もちろん
業者さん探しからはじまり、素材を集め、職人に造らせ、リプルを張る!!
何度、業者さんとのお話合い、何度、リプルの張り方の加工方法を変えたことでしょう。
ちなみに、、、
リプルはお三味線や弾きかたによって皮の厚さも皮の造りもすべて違ってます。このこだわりは、相当のものかと思います。
今はお三味線は売れないけど、絶対に後世にお三味線を残すんだ!!という決意で今日も小松は仕事をしてます。
おしゃめな小松英雄
小松は職人気質の昭和の男性らしく頑固な面があるのですが・・・・
とても人懐っこく、人が大好きなで、面白いものには興味深々。見たことの無いものや興味のあるものには、そのものを持ってる方に質問攻めにします。
愛嬌もあるので、人にも親切なので小松の周りは人が自然と人の輪ができます。
わたしにとっても、尊敬する自慢できる上司であり、三味線についての技術や知識の先生でもあります。
三味線業界だけでなく、違う分野の人々のにも今日も小松は楽しませることを考え続けています。

ロシアのトバァ共和国の楽器の演奏を鑑賞の後に楽器を触らせていただだき上機嫌の小松英雄

バンドのROAさんのしゃみボーイを写メして 変顔をして笑いをとるおちゃめな小松英雄 サービス精神満載